以下はシンポジウムのコメント原稿です。(菅原慶乃) 今日わたしは唯一の日本側のコメンテーターということですので、日本でホウ・シャオシェン映画がどのように受容されてきたのかについて、ごく簡単にご紹介するところから始めたいと思います。 日本におけるホウ・シャオシェン作品の受容のされ方には、おおざっぱに言って二つあったと思います。一つは普遍主義的な立場からの受容、もう一方は反映論的な立場からの受容です。 まず前者についてですが、これは1980年代に全国的に大きな流れとなったミニシアターのブームが背景にあります。ミニシアターは、ホウ・シャオシェン作品に限らず、中国ニューウェーヴや香港のノワール映画の多くを受け入れる土壌となりました。ここで注目すべきなのは、ミニシアターでは、それらの「アジア」の映画作品が、他の欧米の独立系監督の作品――例えばジム・ジャームッシュやヴィム・ヴェンダースといったような監督の作品と同一の地平で受容された、という点にあります。つまり、彼らの作品は「世界映画」というユニヴァーサルな分脈で、ミニシアターに足繁く通う日本のシネ・フィルたちに受容されました。 次に後者ですが、これは前者と対照を成している立場です。具体的には、ホウ・シャオシェンの映画には台湾の歴史、政治、そして文化が反映されているので、ホウ監督の作品を、台湾を理解する教科書として受容する、という立場です。前者の立場が普遍主義的であるのに対し、こちらの方は台湾の個別の歴史的、政治的分脈からホウ・シャオシェン映画をとらえようという立場だと思います。この受容の形態を考えたときに、わたしの脳裏にふと浮かんだのが、フレドリック・ジェイムソンが1980年代に発表した論文で書いていた「第三世界文学は民族のアレゴリーである」というあの悪名(?)高い論考です。「悪名高い」と形容したのは、この論考が発表された後、彼が「第三世界」と範疇化するところの作家や研究者たちからの反論が少なくないということがあるからです。アジアの映画との関連で言えば、レイ・チョウが『プリミティブ・パッション』という書物の中で痛烈な批判を展開しています。これらの議論を、乱暴なまとめになるのは承知で簡単にまとめますと、「第三世界文学」とは主人公の個人的な運命が即政治や国家の問題とリンクしており、そういう意味で「寓話的(アレゴリカル)」なものとして読まれるべきだとするジェイムソンの主張に対し、いやいや、「第三世界文学」が植民地支配とか革命とかそういう観点からしか読まれないのはおかしい、そのような読み方は「第三世界文学」には政治的なもの以外価値がないということではないだろうか、それは違うだろう、もっと多様な側面があるだろう、という反論が様々な立場からなされたのでした。 実は、今ご紹介した二つの受容の立場、つまり、ホウ・シャオシェン映画を普遍主義的立場から読むのか、それとも台湾固有の分脈の上に読むのか、という二者の対立は、ホウ監督作品の受容過程に限られたことではありません。同時期に受容された中国ニューウェーヴ映画の受容もある程度同じことが言えますし、日本におけるイラン映画の受容となどにも同様のことがあると思います。逆に、たとえば1950年代に日本映画が世界の映画界で大きく注目された時も、欧米圏における日本映画の受容には普遍主義的なものと個別主義的なものがあるということが言われました。こうして見ますと、「普遍」対「個別」という問題は、おそらく、「他者」をどう眼差すか、という、極めて近代的な問題提起へつながっているような気がします。 ホウ・シャオシェン作品に話を戻しますと、現代の台湾映画作品の中でも論じられる数が桁外れに多い監督ですから、世界中で膨大な数のホウ・シャオシェン論が書かれているわけです。そこで近年、それらの論考を系統的に整理するような仕事が散見されるようになりました。いわば、ホウ・シャオシェン論言説の交通整理のような仕事です。本日のシンポジウムで発表される葉月瑜先生、デイヴィス先生はこのタイプのお仕事において先駆的な役割を担ってこられました。そこで言及される問題というのも、やはり、ホウ監督作品の読まれ方が台湾固有の歴史、政治的な文脈からのアプローチが強調されすぎるきらいがあり、しかもやっかいなことに、東洋と西洋を二極化して世界をとらえるような文脈から、オリエンタリズム的に読まれることがあまりに多いということに重点が置かれています。そこで注目されるようになったのが、個別の文化的文脈に固執しすぎず、かといって極度に普遍主義的に読むのではなく、既存の枠を越えた読み方が模索されるようになったわけです。 さて、今日の4つの発表でも、多かれ少なかれ、「普遍」対「個別」という枠組みを超えた新たな読みが試みられたものだったと思います。 廬非易先生の発表では、『百年恋歌』の第2パート「自由の夢」が、日常の些末な風景を不断に重複する描写によって、「時間の芸術」であるとされる映画から時間性を剥奪し、その代わりに、全体を俯瞰するような立場から「空間」的に描いているという事が指摘されました。 葉先生とデイヴィス先生の発表は、ホウ監督作品を、台湾ニューシネマや台湾の現代史といった個別の分脈から敢えて切り離し、1930年代の中国の文学界で活躍した作家沈従文との意外な、そして重要な接点について明らかにしたものでした。ホウ監督と沈従文との設定については、ホウ監督が被写体となったドキュメンタリー作品『HHH』でも取りあげられていましたし、葉先生とデイヴィス先生もかつてのご著書の中ですでに指摘していたことです。今回あらためて日本語でこの指摘が紹介されたことで、おそらく日本の中国文学研究者の方にも新鮮な驚きが共有されたのではないか、と思います。ホウ監督作品を個別の分脈から大胆に、かつ実証的に“解放”させるという新しい読みの規範的なご論考だったと思います。 韓燕麗先生の発表では、ホウ監督が古典的ハリウッド作品に典型的に見られるような映画言語を踏襲せず「第三世界映画」という考えに通じるようなスタイルを確立したこと、また台湾の固有の分脈に根ざした部分もあるがそれだけで論じきることができるような監督ではない、といった事が指摘されました。そして、わたしが前述したような「普遍」対「個別」という読み方に収斂され得ないホウ監督作品があるのだということが示唆されました。 西村正男先生の発表では、ホウ・シャオシェン映画に見られる日本的な要素の見取り図が示されると同時に、ホウ監督が日本映画界から受けた影響は、小津安二郎のような主流映画というよりも、小林旭等が出演していたにっかつアクションのようなより「大衆的な」作品からの影響が強いのではないか、という指摘がなされました。この指摘をわたしになりに別の角度から言い直しますと、おそらく、日本の植民地支配や戦後の台湾のポスト植民地状況にかんする研究は、これまでは割合公的な部分や文化的に「高尚」な層に対する関心が高かったけれど、実は日本の大衆文化のレベルでも大きな影響があったのだ、ということを指摘されたものだと理解しています。『憂鬱な楽園』が果たして『南国土佐を後にして』を意識していたかどうかという問いの実証主義的な「正しさ」はさておき、こうした斬新な読みが批評をより豊かにするという事は言えると思います。 最後に、4名の先生方が用いた研究手法――すなわち、「普遍」対「個別」を乗り越えるような、新たなホウ・シャオシェン作品の読み方――は、ホウ監督作品を論じる時のみに有効なのか、あるいは他の監督作品にも適用できるか、そうであるならば他にどんな台湾の監督がいるのか、ということをご教示いただきたいと思います。 以上
by eizoubunka
| 2011-06-30 20:45
| コラム
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