4.パリにおける映画の研究と教育
窪:では次に、パリの大学でどのような映画の研究と教育が行われているのかという話に移りましょう。まず、パリのいくつかの大学での映画研究の概況についてお話ください。 堀:パリとその近郊には、パリ第1大学からパリ第13大学までの大学があるわけですが、映画を学べるのは、そのうちパリ第1、第3、第7、第8、第10大学ですね。 パリ第3大学(いわゆるソルボンヌ・ヌーヴェルですが、所在地であるサンシエと呼ばれることも多い)の映画学科は、ヨーロッパだけでなく世界的にも随一の規模だと思います。ジャック・オーモンやミシェル・マリーといった、1970年代の映画学科の創設期からのメンバーが今では第一線を退き、映画の美学の分野に限って言えば、フィリップ・デュボワが中心的な位置を占めているといってよいでしょう。元々彼の教え子だったバルバラ・ルメートルや、エマニュエル・シエティもここで教鞭を執っていますし、デュボワとも関心が近く、とりわけアヴァンギャルド映画に詳しいニコル・ブルネズが最近、パリ第1大学から教授として移籍しました。 わたし自身は彼らの研究に最も興味を持っていますが、もちろん、彼らのような、より理論的な傾向の強い研究分野・手法だけが幅をきかせているわけではなく、他にもローラン・クルトンは「映画の経済学」の第一人者ですし、フランソワ・トマをはじめ、着実な映画史的な研究を推進している一派もいます。また、元々『カイエ・デュ・シネマ』などの批評家として出発したアラン・ベルガラやシャルル・テッソン、ドキュメンタリー映画を専門とするフランソワ・ニネーや、精神分析的なアプローチを得意とするミュリエル・ガニュバンといった教授陣も有名です(テッソンを除く3名は、遠からず退職する年齢ですが)。 窪:映画に関する書籍や論文でしばしば目にする著名な方々の名前が一挙に挙がりました。パリ第3大学以外の大学では、どのような感じで映画研究が行われているのでしょうか? 堀:他の大学についてはさほど詳しいわけではありませんので、これから述べることには勘違いも含まれているかもしれませんが、他大学では基本的に、映画も含めた芸術学科のようなところで映画研究を選択できるという具合になっています。たとえば、パリ第8大学(サン・ドゥニ)では「諸芸術、哲学、美学」というUFR(教育研究ユニットの略称ですが、おおむね学部に相当します)で映画もやっています。今年度(2010-11年度)にパリ3から移籍したクリスタ・ブリュムリンガーは古典的な映画だけでなく、実験映画やニューメディアにまたがる興味深い研究をしていますし、映画と歴史がテーマのクリスチャン・ドゥラージュや、たとえば映画と彫刻といったようなユニークなアプローチが面白いシュザンヌ・リアンドラ=ギーグ、ニューメディアの作家でもあるジャン=ルイ・ボワシエなどが在籍しています。セルジュ・ル・ペロンも教授のようですが、この人は五月革命の際に「シネリュット」という組織でいわゆる「戦闘的映画」を作っていた人ですね。ジャン=ルイ・コモリが教鞭を執っていたこともあり、また大学そのものが五月革命の余波を受けて設立されたこともあって、理論と実践の連動が積極的に模索されており、教員に実作者が多い印象があります。 窪:日本の場合は、映画を学ぶ大学や大学院といっても、理論的なアプローチと製作が連関している大学や大学院はさほど多くない印象です。 堀:実作と理論・歴史研究の棲み分けがありますからね。でも、それは日本に限ったことではないし、映画に限った話でもないと思います。パリの他の大学に話を移すと、パリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ)では、映画学科というよりは、美学科のようなところで映画も学べるという感じになっています。内部事情を知っているわけではありませんが、教授陣のリストを見る限りでは、映画の分野ではドミニク・シャトーやダニエル・セルソーが著名です。ゴダールについての研究書のあるセリーヌ・セママは個人的にも知っています。他にも、ニューメディア研究で知られるアンヌ=マリ・デュゲも在籍しているようです。パリ第1大学には、歴史家として『夜と霧』研究などのすぐれた成果のあるシルヴィ・リンデペルクがディレクターを務め、ジャック・タチ研究などで知られるステファヌ・グデや、アメリカ映画研究のクリスチャン・ヴィヴィアニらが在籍する研究グループも別途、存在しています。パリ3に移ったブルネズはそこに在籍していました。 窪:他の2つの大学についてはいかがでしょうか? 堀:パリ第7大学(ドゥニ・ディドロ)では、文学・芸術・映画をひとくくりにしたLACというUFRが映画の研究・教育を担っています。元々、後述する映画図書館の館長だったマルク・ヴェルネや、主にハリウッド映画について多数の著書のあるジャクリーヌ・ナカッシュやピエール・ベルトミウー、黒沢清についての著書もあるディアーヌ・アルノーらがいます。パリ第10大学(ナンテール)では「諸芸術と表象の歴史」という名の研究チームが、美術史や演劇学と並んで、映画の研究・教育も担っているようです。その教授陣のリストを見る限りでは、イタリア映画を専門とするローランス・シファーノがよく知られているほか、ゴダールの評伝をはじめ膨大な著書のある歴史家のアントワーヌ・ド・ベックが着任したようですね。 窪:パリは映画研究の層が厚いのですね。久保君は、最も規模の大きいパリ第3大学に在籍中ですが、具体的な講義の様子やその内容についてはいかがですか? 久保: パリ第3大学の映画・視聴覚研究科には、映画・視聴覚に関する実にさまざま領域の授業があります。映画作品の分析や個々の監督の研究はもちろんのこと、映画批評を書くための授業や、より広範な芸術・美学の授業、映画の経済的・法学的・社会学的な側面の分析など、映画と関連のあるものならほとんどあると言っても過言ではないと思います。 カリキュラムとしては、1年生のときは映画芸術・美学の理論や映画の経済的な側面や論文の書き方など基本的なことを全員が学ぶようになっており、授業の選択はほとんどできないようです。2年生になると少し選択の幅が広くなりますが、やはり映画・視聴覚の基礎知識を徹底的に学ぶという設定になっています。そして3年生になるとやっと様々な授業を選べるようになっているように思われます。 窪:履修のシステムも、日本の大学とは大きく異なるということをお聞きしました。 久保:パリ第3大学の履修はどこの研究科もなにやら先着順履修なようで、履修日には学生たちが大挙して並んでいました。しかし、何やら1人ずつ相談しながら決めていくようで、これが全く進まない。留学生向けの履修登録日は人数が少ないはずなのに、僕も3、4時間ぐらいならんでやっと授業を履修しました。また、この授業は定員に達したので取れませんと言われたりもしたので、先着順の授業もあるようですね。しかも、こんなに並ばされるのに、最終的な入力にはパソコンを使うんですよね(笑)。ちゃんと最初からパソコンのシステムを作れば並ばなくてすむのにと思いました。 窪:早いもの勝ちで授業が決まってしまうこともあるのですね。実際に授業が始まってから、何か日本との差を感じましたか。 久保:学部(Licence)の授業を取っているのですが、語学の要素を除いては、授業のレベルはさほど変わらない気がします。もちろん、完全に聞き取って理解しているわけではないので、雑駁な印象にすぎませんが。こちらの授業では、レジュメが配布されることが基本的にはないので、理解がさらに難しいのかもしれません。僕は授業を4つ受けているのですが、どの授業でもレジュメは配布されません。授業の進め方としては、先生が講演会のようにひたすら話し続け、ときおり、質問を受け付けるというスタイルです。それが2時間続きます。 窪:日本では、レジュメやパワーポイントが使われることがほとんどですね。フランスの授業は、講演会のようなイメージなのでしょうか。現在履修中の講義内容を具体的に教えて頂けますか? 久保:映画に関する講義は、途中で朝早すぎて諦めたものがあり、2つしか受けていないという低たらくなんですが、1学期に受けていたのは、日本でも何冊かの著書が翻訳されているミシェル・シオンによる1920年代から現代までのフランスのミュージカル映画を概観するという授業と、アラン・ベルガラによる俳優の演技とルノワールやブレッソン、ストローブ=ユイレなど複数の監督術を検討していくというものでした。シオンの授業はネット上で映画作品と参考文献はあがっていましたが、授業中に配布ではなかったですね。 窪:シオンの『映画にとって音とは何か』(川竹英克・J.ピノン訳、勁草書房、1993年)は面白い本でしたね。堀先生の学生時代での印象深い講義がありましたら、お聞かせ下さい。 堀:そうたくさんの授業を受けていたわけではなかったのですが、やはり指導教授でもあったジャック・オーモンの博識きわまる講義や、フィリップ・デュボワの figureという概念の映画への応用をめぐる講義(彼の講義はめずらしく資料集が用意されていました)は印象に残っています。レイモン・ベルールも当時はパリ3で授業を受け持っていました。授業は真剣に受けるとなると一つ増えるでもかなり大変なので、手っ取り早く感じをつかむために、単発の講演会やコロック(シンポジウム)に足を運ぶこともよくありました。(続きは、「5.映画を見る環境」へどうぞ。)
by eizoubunka
| 2011-02-09 06:04
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