井土紀州監督インタビュー「野蛮な映画に向けて」(その2)
f0063881_1624361.gif井土紀州監督インタビュー「野蛮な映画に向けて」(その2)「3.『百年の絶唱』」、「4.『LEFT ALONE』」をお届けします。



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3.『百年の絶唱』

――次に、長編第一作の『百年の絶唱』について伺いたいと思います。実はこれは私も長らく見逃していて、昨日、應典院という寺院で特別上映されまして、ようやく観ることができました。観て、呆気にとられたというかこんな凄い映画があったのかというような思いをしたんですけども、ごく簡単に内容を説明しますと、平山という中古レコードショップで働いている、ちょっとうだつの上がらない青年がいるんですね。その人が、ある失踪した男が残したレコードを引き取りに来て、何枚か自分でもらっていく。レコードプレイヤーももらっていく。するとやがて奇妙な声が響いてきたり、自分の家のアパートに血で文字を書かれたり、なんだかよくわからないことが起こり始める。何なのかというと、実は失踪した男というのが、三重県の小さな村の出身の人で、その村はダムに水没した村なんですね。その怨念というか復讐として、失踪した男は人を殺していたと。その男が平山っていう青年に乗り移ってきて、平山も人を殺し始めたりする。そういう展開なんですけれども。
 この映画を撮られたきっかけというか、なんでこういう恐ろしい映画ができたんでしょうか?

井土 今、堀さんからおっしゃって頂いたなかで、ダム、これは自分の記憶なんですね。僕は三重県の北牟婁の生まれで、海辺の町に住んでいたんですけども、奈良県の山村がダムに沈んで、そこに住んでいた人たちが植入してきたっていう過去が実際にあった。で、子供の頃よく、実は私はもともと山の向こう側に住んでて、そこはもう水のなかに沈んでるんやで、でもな、学校だけは高いとこにあったから沈まんと残ってるんやっていう話を聞かされた。これはイマジネーションがすごく広がりますよね、子供にとっては。で、一回見てみたいなと思ってて、成人してから見に行ったわけですね。自分で免許取ってから、車で。なかなか辿りつくのも難しい場所でしたが、見つけた時は凄まじいインスピレーションが湧いた。そういうわけで、ぜひここを撮りたいと思ったのと、もうひとつは、自分の等身大、それこそさっき言った大学出てからフリーアルバイターしながら、うだつの上がらないままやってる自分を合わせて、なんかできないかなと思って作ったのが、この『百年の絶唱』という映画です。

――確かに映画のなかでも、水没したダムがあって、小学校だけは高台にあって残っている。あれは今でも残っているんですか?

井土 今もありますね。奈良県の東野川っていうところに。

――かなりの山奥ですね。

井土 これはなかなか辿り着けないですよ。最初行った時は見つけらなかったし、二回目でも駄目で、三回目でやっと辿り着けたんですね。普通の大きな一般的な国道から、3、4時間山道ずっと走んないといけないんで。で、行ってしばらくそこにいると日が暮れてきてすごく怖くなってくるんですよ。帰る時はまた全然ライトもないような山道走んないといけないんで。撮影もすごい大変でしたけど、初めて行った時のあの恐怖感は、今でもリアルに覚えていますね。

――ダムがあって、朽ち果てたような小学校の跡があるという風景が実に印象的で、あの場所を発見しただけでもう勝利、という映画だと思います。
 もうひとつ伺いたいのは、失踪した男が主人公に憑依する、乗り移ってくるという点で、ホラー映画的な枠組みもありますよね。ホラー映画はお好きですか?

井土 シナリオライターとしては、ホラーを書けと言われるとだいたいうまくいかないことのほうが多いんです。俺はホラー駄目だなと思うことが多いんですけど。でも子供の頃の映画の経験って、やっぱり、恋愛に感動するとか何かに感動するというよりは、恐怖のほうが覚えてるんですね。子供の頃すごくリアルに覚えてるのは、うちの親父が、休みになるとパチンコが好きで、パチンコに行きたいわけです。で、おふくろに対してその口実として俺を遊びに連れて行く。パチンコ屋の隣が映画館だったんですけど、その映画館に僕を放り込んでおいて自分はパチンコに行くんですよ。で、幼稚園くらいの時に、『ゴジラ対ヘドラ』っていう映画を観たんですけど、これは怖かったですね。ほんとにヘドラってのが怖くて。ほんとにトラウマですよ。早く親父が来てくれないかと思いながら、ずっと怯えながらそのヘドラを観てたっていう記憶があって。だから、ホラー的な表現……というよりも、映像が持っている、ダイレクトにこちらの何かに訴えかけてくるような、それは恐怖なのかもしれないし畏れなのかもしれないですけど、そういうものにはすごく興味がありますね。それは『百年の絶唱』の舞台に立った時にも感じるようなもので、そういうのはすごく興味があります。

――あの小学校の廃屋が出てくるだけで、何か出てくるんじゃないかっていう気もしますし、音響効果に関してもかなり身体的に迫ってくるものがあったと思います。

4.『LEFT ALONE』

――井土監督の次の作品は『LEFT ALONE』ですね。この作品も関西ではほとんど観る機会がなかったんですけれど、ひと言で言うと、日本の60年安保とか68年の頃の左翼たちにインタヴューしたドキュメンタリー作品で、明石書店から書籍版も出ています。絓秀実という人が狂言回しというかインタヴュアーとなって、松田政男、西部邁、柄谷行人、津村喬にインタヴューをしていくという作品なんですね。要するに、いろいろな人へのインタヴューを通じて、1968年とは何だったのかということに迫っていくというドキュメンタリーですよね。これを作るようになったきっかけは何ですか?

井土 それはさっきちょっと触れたんですけど、「芸術至上主義者を弾劾せよ」っていう空間に僕は関わっちゃって、抑圧を受けて、映画を作れなくなっちゃった。自主管理をやっている学生会館っていう場所――関西だったらまだ京大の西部講堂とかは残ってますね――、そういう空間と自分が関わって、あれは何だったんだろうというのがひとつあります。それはやっぱり戦後日本の左翼史のなかでの連続性っていうのがあるわけで、たとえば大学のなかの自治空間ですね。今はもう失われつつあって。東京の大学でも全部それは壊されてるわけですけど。

――ここでもそうですね。つい去年ぐらいに建て替えられたんですけど、完全に管理型のサークルスペースになっている。

井土 自分たちで管理してなんか面白いことやりたいっていう学生の思いもあったけど、一方で、学生が自分たちで(管理するのは)面倒くさいっていう風になってきた動きもあるんでしょう。そういう今の流れも当然あるんですが、結局自分が青春時代に関わって――僕は大学に6年いることになっちゃったんですけど――あそこで過ごしたことって、そもそもは何だったんだっていうのを考える、それが『LEFT ALONE』のそもそものモチベーションだったですね。

――井土監督にとって、68年の革命を現代に活かす道、68年革命のアクチュアリティとはいったい何なんでしょうか?

井土 何なんでしょうね……。僕はやっぱり、68年というもの、あるいはその時代が持った何かに惹かれるとしたら、やっぱり欲望の強さなんですよ。つまり、自分でリミッターをかけない。自分が何かを作ったり何かをやっていく上で、自主規制しない。どんどん欲望を組織していける。それが僕がこの時代にいちばん感じる可能性なんですよね。で、それは世の中のシステムに自分を合わせることではないと思うんですよ。勝手な僕の解釈ですが、たとえば僕が映画を作りながらやってることって、両面あるんですね。たとえばシナリオライターとして生活していかなきゃいけない。これは会社の言うとおり、あるいはこういうキャストで、映画を作りましょうっていう風にいろんな人間が関わって、ひとつのプロジェクトとして動かなきゃいけないわけですよね。そこでは商品としての映画ということは絶対に意識しければいけない。そのなかで僕はある技術者として、シナリオというものを書いている。でも一方で、ほんとに俺がやりたかったことってそれなのっていう疑問はどうしてもあるんですよね、最終的に映画をやろうと思うと。だからこそ、スピリチュアル・ムービーズというのを一方ではやってるんです。いいじゃん、既存のシステムのなかに自分をあわせて何かを作ろうとするんじゃなくて、たとえば予算は少なくてもいい、あるいは多少まずくてもいい、それよりは自分の作りたいものを作って、それを世の中にうまく流通させていくような、オルタナティブな回路をどうやって切り開いていくのか。音楽をやってる人とかって、それで結構成功してる人はいますよ。自分たちでCD焼いて売れば、すぐに反応が返ってきますから。映画に比べるとすごくやりやすいことだと思います。そのオルタナティブな回路をどうやって自分で作っていけるのかというのが、僕の考えているひとつの大きな可能性ですけどね。
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by eizoubunka | 2010-05-10 16:10 | コラム
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