井土紀州監督インタビュー「野蛮な映画に向けて」(その1)
f0063881_1624361.giff0063881_2134394.jpg関西大学映像文化学会ニューズレター創刊号に短縮バージョンを掲載しました井土紀州監督インタビュー「野蛮な映画に向けて」(聞き手:堀潤之)の全文を数回に分けて掲載します。今回は「1.上京からアパートまで」、「2.瀬々敬久監督とシナリオ執筆」をお届けします。



* * * * * *

1.上京からアパートまで

――本日は、現代日本においておそらく最もラディカルで最も批評的な映画を撮っている井土紀州監督をお招きして、映画との出会いから最新作である『ラザロ』三部作に至るまで、色々とお話を伺いたいと思います。
 さっそくですが、井土監督は法政大学に在学中から映画を作りはじめて、今なお続いているスピリチュアル・ムービーズという制作集団を結成されるわけですけれども、そもそもどういうきっかけで映画を作られるようになったのでしょうか?

井土 映画を作るというのはたぶん、映画を観たから作りたくなると思うんです。僕の場合、映画というのは、子供の頃から娯楽だったわけです。たとえば友達と観に行くとか、あるいはデートの手段として使うというぐらいのものだったんですけれども、初めて映画に対して意識的になったのは、ヴィム・ヴェンダース監督の『パリ、テキサス』(1984)でした。これは(地元が)田舎だったんで二本立ての上映で、もう一本がフランシス・フォード・コッポラの『コットンクラブ』(1984)っていう映画だったんです。僕は女の子を映画に誘って『コットンクラブ』を観に行こうと思ったんですね。そしたらドタキャンされて一人でその二本立てを観に行くことになって、その時に、目的だった『コットンクラブ』ではなくて、『パリ、テキサス』という映画にすごい違和感を覚えたんです。それは、今まで自分が観てきた映画と話法がちょっと違うというか、日本映画の娯楽作品あるいはハリウッド映画とは違う、非常にテンポの遅い、楽しむというよりは感じることをすごく要求されるような映画で、観終わった瞬間、なんてかったるい映画だったんだっていう印象を受けたんです。ところが帰って自分の部屋にいると、なぜか『パリ、テキサス』の画面や音の感覚がずっと自分のなかに残っている。それが高校時代で、のちに東京に出て行ってから再映されているものを観て、素晴らしい映画なんじゃないかと思えた。だから、映画と出会えたというのは、『パリ、テキサス』が最初だったですね。
 その次が、東京出てから、日活ロマンポルノですね。それとATG(アート・シアター・ギルド)の作品、リアルな青春映画が多くて、それを観たときに、自分の身の丈に合っているというか、暗い青春が描かれている作品が多いんですけれど、なんか悶々としてる。あ、これだったら俺も撮れるかな、映画を作ろうかなと思った最初のきっかけですね。

――なるほど。井土監督はその後、法政大学在学中から、映画の上映活動を行いながら、『第一アパート』を撮ることになります。この作品を撮るに至った具体的な経緯を教えてください。

井土 これは1992年の作品で、だいぶ遅いんですね。僕は1987年に上京して、浪人生活を送りながら先ほど言ったような傾向のものを中心に映画を浴びるように見ていた。そして1988年に大学に入学しているので、4年間は結局映画を撮れなかったということなんです。これはどういうことかというと、僕は法政大学の学生会館という場所で映画をやろうとしてたんですが、学生運動が非常に根強く残っていた場所で、映画を撮るよりも自主管理の運動に熱中してしまったんです。僕が全然何にもわからない20歳くらいの学生だった時に、30過ぎたようなおじさん達がなぜか学館にゴロゴロいて、その時に「お前何やりたいんだ」って訊かれて、「映画やりたいんですけど」って言ったら、「そうか」って言って、壁の落書きを指さして「これ読めるか」って言われて、そこに「芸術至上主義者を弾劾せよ!」っていうスローガンが書いてあったんですね。で、「ここはこういう場所なんだ」と。それから、「ただ映画っていうものを作りたいから作ればいいわけじゃねえよな。何を撮るかだよな」っていう議論が始まって、単に映画を好きだから作っちゃいけないんだっていう衝撃があったわけですね。そこで僕が問われたことが何かと言ったら、物を作るうえでの問題意識です。作るために作るというよりは、撮るための主題を作り手は持っていなければしょうがねえんじゃないのってことを言われると、作れなくなっちゃうんですよね、映画を。全然。それまでが本当に平平凡凡と生きてきた人生だったから。で、ちょうど大学4年くらいの時に初めてやってみようかなと思って、やらないと大学もう終わりじゃんと思って、撮ったのが『第一アパート』なんです。

――つまり、最初の作品を撮る前に何か抑圧のようなものがあって、それを乗り越えて撮ったということですね。今はデジタルビデオカメラ等の普及で、実に簡単に映画が撮れるようになっています。それはいいことでもあるんですけれど、逆に言うとあまりに簡単に撮れてしまうので、自堕落な作品をつい作ってしまうということもあるかと思います。そうじゃなかったという原点は、井土監督にとって非常に重要だったのかなという気がします。

2.瀬々敬久監督とシナリオ執筆

――井土監督はその後、スピリチュアル・ムービーズという制作集団を作られます。まずはいろいろな作品の脚本家として活躍されていくわけですけれど、とりわけ瀬々敬久監督のシナリオライターとして活躍されていくわけですが、彼との出会いや、脚本執筆時のエピソードをご紹介いただけますか?

井土 まあ物事っていうのはだいたい同時平行的に起こるわけです。これがあったからこれがあったという風に単線的には進まない。スピリチュアル・ムービーズというのを僕がやろうと思ったのは、学生時代の仲間と卒業した後も映画をつくり続けるための根城やアジトのようなものを自分たちで持とうというのが最初ですね。だから、よく今までもってるなあと思うんですけどね。来年で40なんで、ちょうど15、6年ぐらいやってこれたんですけども。皆さんまだ学生ですが、自分でやりたいことはあると思う。でも一方で卒業したら、生活、仕事っていうものが追いかけてくるわけです。それをやりながら、自分たちで映画を作っていけないかなあ、と思ってやったのがスピリチュアル・ムービーズなんですね。
 他方で、僕は映画とつながっていたいという思いからいろんな場所で映写技師のアルバイトをやりだして、最終的に落ち着いたのが東京のアテネフランセ文化センターというシネマテークだったんですね。何年か映写のバイトをやっていて、当時、この瀬々敬久という監督を含め4人ピンク映画の監督がいて、その人たちがピンク四天王と呼ばれていました。何の四天王かというと、ピンク映画の劇場から嫌われてる4人だったんですね。要するにエッチな映画を作んない。自分たちの主張があったりとか、自分たちのやりたいことをピンクっていう映画の枠のなかでガッとやっていて、エロを期待しているお客さんには非常に評判の悪い監督たちがいて、この人たちは劇場側からボイコットされている。でも僕らは観に行って面白いわけですよ、映画としては。だったら、この四天王ってのを逆に世間に打ち出してったらどうなのか、ピンクとしては駄目かもしれないけど、映画としては面白いじゃないかということで、僕が映写技師をやっていたところで、上司だった安井豊さんと新日本作家主義列伝という企画を組むわけですね。瀬々さんを含めピンク四天王の作品、それから今年(2007年)カンヌで賞を獲りましたが、当時8ミリを獲っていた河瀬直美さんもそうですね。彼女の『につつまれて』をそのなかに入れながら、新日本作家主義列伝っていう連続企画をやったんです。その過程で、瀬々監督に「お前シナリオ書かないか」と言われて、書き出したというのが最初です。
 シナリオ執筆については、最初の頃は本当につらい思い出しかないです。シナリオ書けって言われて、「あ、やってみます」って言ったのは、ひとつは成人映画、ピンク映画というものを舐めてたんです。要するになんかちょっと気の利いた話を書いて、そこに濡れ場を入れて、ハイってでっち上げりゃいいんでしょと思って、ポンとやった。でも、駄目。駄目。駄目。監督からもプロデューサーからも延々駄目出しですよね。で、ちょうどその頃二十五、六ぐらいだったんで、鼻っ柱は強いし、無根拠な自信があるわけです。俺は才能があるんじゃないかとかね。それが木っ端微塵に打ち砕かれるわけですよ。結果的に僕が何回か書き直したものに監督が手を入れて、上がってきたものを見たときに、あ、なるほど、と思ったんですね。それは何かっていうと、性の営み――セックスにしても、唐突であるわけがないんですね。たとえば男と女の登場人物がいる。その人たちがどういう風に出会って、どういう感情の交換をして、たとえば最初にどうやってその人たちの肌が触れ合って、どうやってキスまで行ってっていう、それぞれの日常生活とおんなじですよね。それをいかに、最終的に男と女の関係として、セックスまで行くのかが描けてなければ駄目なんですよね。それは成人映画であろうと一般映画であろうと変わらない。なおかつ、男と女は一回セックスをすれば、また関係も変わるわけですよね。要するにシナリオって、人間の関係の変化を描いていくものなんだってことが、その時にわかったんですね。それがいちばん、最初シナリオをやっていた時に自分が思い知らされたことですね。それが今でも役に立ってます。

――自分で書いた脚本に基づいて実際に出来上がった作品をご覧になって、自分の思い通りに行ったとか、裏切られたとか、そういった体験はありますか?

井土 最初の頃は裏切られっぱなしでしたね。結局、シナリオっていうのは自分の頭のなかにイメージがあるわけですね。映像が。それは最上のものなんですよ。ところが実際の撮影現場では、物理的な条件がいっぱいからんでくる。予算がないからこの日からこの日までに撮んなきゃいけない。あるいは、今日撮っとかないともう駄目になっちゃう、急がないと日が暮れる。ほんとはバーンといい感じの夕陽のなかでそのシーンが構成されないといけないのに、もう日が沈んじゃって暗いなかでよくわかんないでゴチャゴチャやってるとか、ともかく物理的な条件がすごい映画っていうものに作用していくんだなってことは思い知りましたね。でも、その逆でシナリオに書かれてないワンカットがものすごいその映画のなかで訴求力を持つ場合を発見させてもらったってこともあります。
[PR]
by eizoubunka | 2010-05-07 14:57 | コラム
<< 井土紀州監督インタビュー「野蛮... 関西大学映像文化学会blogリ... >>